みんながんばっている

自分という人間はどうしてこんなにもがんばれないのだろう。

自分で自分をなさけなく思う。

 

世の中の人はだいたいがんばっているのだ。それがふつうのことなのだ。

テスト勉強に習い事、高校受験に部活動、大学受験にアルバイト、単位取得に就職活動…。

みんな一人ひとり、だれにも見られないところで自分のため、他人のために、

評価されずとも一所懸命になってがんばっている。

 

それに比べ自分はどうだろう。

テスト勉強はアッパラパー、高校受験もピッピロピー、

大学受験がベンベケベンなら就職活動はオッペケペーである。

つまり要約すると何一つがんばることなく今まで生きてきたのだ。よく生きてこれたな。

それもこれもどれも周りの人のおこげ、いやおかげである(ふざけるんじゃない)。

 

この文章を読んで、なぜがんばらないのかと思ったがんばり屋さんもいるでしょう。

自分もそう思うのです。自分よ、なぜがんばらないのか。

おそらく楽をしたい、というのと「今までがんばらなくても生きてこれたじゃん」という

くだらない自信ががんばらないことへの原動力となっているのだろう。

改めてなんてなさけない自分なのだろう。

 

過去の自分をプレイバックしてみればだいたいベッドで横になっている。

自分は他人の1.5倍は横になっているのではないか。

人間とは縦に立ち上がって生活するために進化してきたのに

横になって生活してしまっては進化してきた先人にも申しわけが立たない。

ネアンデルタール人だかクロマニョン人よ、ごめんなさい。

 

このままじゃそこらへんで散歩している犬の方がよっぽど子孫繁栄のためにがんばっている。

犬がもし自分なら、しょんべんでマーキングすることすらがんばれないだろう。

犬のしょんべんの方がよっぽど世のためになる。自分の生活は犬のしょんべん以下なのだ。

自分が同士だと勝手に思っていたさくらももこも、(大変失礼である)

上京のために自分でアルバイトして稼いでいるというではないか。

 

自分はこの先何かがんばれるのだろうか。

がんばりたい気持ちはもちろんあるが、がんばる人生を送るというその覚悟は自分にとって

陸上自衛隊に入るくらい心臓がちぢむ。

渡部篤郎のような渋い顔の鬼教官に怒られても、つらいトレーニングに体を痛めても、

絶対に諦めないんだ、というような強い意志がはたして自分にはあるのだろうか。

 

だけど、つらいことから逃げてばかりじゃ、何も得られないということを

今までの人生で体に染み付くほど感じてきた。

自分の人生をオッペケペーのまま終わらせるわけにはいかない。

笹を食ってる場合じゃないのだ。

 

これからは、自分ががんばらないことで周りの人にがんばってもらった分を

自分ががんばる番である。周りの人に楽をしてもらう番なのだ。

 

こんなことを綴りつつも、自分は最近またひとつがんばることができずに

逃げてしまった。こういったことを続けた道の先にある自分の未来はさみしくまっくらだ。

自転車の帰り道、陽が落ちきった町の景色を妙に身近に感じるのだった。

あの広告の看板ではにかんでいるケイン・コスギもがんばっているのだ。

 

おわり。