ピカソ

 

大人になってから「あれはこういうことだったのかも」とわかることがある。

 

たとえばトイレのビデ。なぜ同じウォシュレットのスイッチが二つあるのかと子どものころ謎だった。ビデの方には女性の絵が描いてあるから、これはもしかして女性専用のウォシュレットでまた違うシャワーが出てくるのか?ということはふつうの「おしり」と書いてある方は男性専用だったのか?でもそこまで分けるようなこと?...と小学生ながらに世の中の男女平等主義はついにけつの穴まできたかと思ったが、もちろん今ならそういうことかとわかる。

 

またたとえば、途中で苗字が変わった友だち。離婚や再婚をして親が変われば苗字が変わるということは知っていたけど、その裏で泣いたり喧嘩をしたり色々あったんだろうということまではわからなかった。どっちが親権を持つか、どっちについて行くか、苗字が変わった友だちはそういう修羅場をくぐってきたはずなのだ。そしてきっとお父さんが家を出て行くことになったのだ。小学生や中学生のころの自分はそこまで深く考えてはいなかったと思う。

 

そしてまた同じように「こういうことだったのかも」と最近思い出した人がいた。小学生のころ、日中にもかかわらず町や公園をのそのそ徘徊するおじさんがいて、その人はピカソと呼ばれていた。どこのだれがそう呼び始めたのかはわからないけど、イカれているからピカソといういかにも安直で小学生のつけそうな名前であるし、実際ピカソに興味をしめしてそう呼んでいたのは小学生くらいだった。だから決してピカソに似ているわけでもピカソの絵に似ているわけでもなく、風貌はメガネをかけたただの細身のおじさんだった。

 

ピカソはいつも顔が真っ赤で、グロッキーで、まさに干し柿みたいな顔だった。もし干し柿を助けたのなら、その晩ピカソが恩返しにくるに違いない。そういう顔だった。要するにたぶんいつも酔っていたのだ。歩くときは足を引きずるような千鳥足で、50メートル離れていてもピカソがいるとわかったものだった。知らない人から見ればゾンビと見間違えてもおかしくなく、そんな奇妙さが小学生たちには魅力的だったのかもしれない。寝ているピカソに近づいたり、またいでみたり、主に肝試し的な存在として気に入られていた。

 

学校が終わって、家から一番近い公園で遊んでいるとピカソはのそのそ登場する。それか、すでに公園にいた。ベンチでいつも寝ていて、ピカソが座ったあとは大量のタバコの吸い殻とコーヒー牛乳の紙パックが周りにまき散らされていたので、いなくても「あ、ピカソ今日もきたんだ」と判断できた。吸い殻の数は特に尋常じゃなく、今思えばあれは一度に一箱は吸っていた。いくら鈍感な子どものころの自分でも、それがイカしたタバコの吸い方でないことはわかった。やはり子どもの目からもイカれていたのだ。

 

ピカソは、今思えばただの無職の中年だったと思う。いつも昼間からお酒をのみ、夕方まで公園で寝て、いつの間にか帰って行く。無職ではないとしても生活としておわっている。もしかしたら働けなくなって帰る場所もなくて、ただ寝て干し柿になるしかなかったのかもしれない。ほんとは真面目でやさしい社会人だったのかもしれない。それも大人になって色々なことを知ったからこそ思えること。小学生からしたらイカれたピカソなのかもしれないけど、ピカソもただの人間だったのだ。

 

またピカソ干し柿じゃない状態できびきび歩いている姿も、自分は何度か見たことがあった。風貌は別人のようだけど、そっくりさんでない限りあれは確実にピカソだった。ピカソだって元はふつうだったのだ。

 

ある日、ピカソが目の前で自分と同じ小学生の女の子を追いかけ回したことがあった。だいぶ前のことだから、ピカソは女の子と遊んであげようとしたのか、捕まえようとしたのか、どういう流れでそういうことになったのかは覚えていない。けど女の子は怖がっていたと思うし、そのあと大人たちが何かしら動いたことは覚えている。その時はじめて自分は、ピカソがこわいと思った。

 

それから何ヶ月かたってまたピカソはいつも通り徘徊し、結局自分が高校生になるころまで変わらず徘徊しつづけていたと思う。大学生になる頃にはばったりみなくなり、そもそもその公園の近くを通ることがなくなった。いつの間にかピカソという人がいたことも忘れてしまっていた。それがつい最近同じような歩き方をしている人をみて思い出したのだった。

 

今思えばピカソは決して楽しい心情じゃなかったはず。色々辛かったはず。タバコとお酒に頼るしかなくて、コーヒー牛乳が好きだったピカソ。今どこで何をしているかわからないけど、なんとなくまだ変わらず徘徊しててほしい気持ちもあるのだった。

 

ぴかそ。

 

 

冷蔵庫のつまみ食いはうまい

 

 今日は少しいいことがあったので、一駅歩いて帰ることにした。

 

歩いている間、食べ物の食べ方のことを考えていた。最近疑問に思っていることがあるのだ。それは、なぜ冷蔵庫のつまみ食いはあんなに美味しいのか、というなんとも褒められようもないことだ。でも実際、うまい。自分で買ってきて食べるよりうまい。

 

まず、そんなの人の金で食ったからうまいんだろ!という考えが出てくるけど、そうとも限らない。一緒にスーパーに行って、食べたいものを買ってもらい、そして帰って食べるのでは冷蔵庫のつまみ食いほどの美味しさは発揮しないのだ。また逆に、自分のお金で食べたいものを買って冷蔵庫に入れておき、数日たって食べるとうまいのだ。これは冷蔵庫の魔力か。なんなのか。

 

結論から言えば、これは「脳がびっくり現象」だと自分は考えている。

 

何か食べようと決めた時から、脳はすでにその食べ物を味わいはじめていて、そして買い物や料理をしている間に少し無意識に飽きてしまっているのではなかろうか。もちろん、唐揚げが食べたい食べたいと思ってありつける唐揚げはうまい。でもそれ以上に、いきなり出てくる唐揚げの方がうまいと感じるのではないかと思うのだ。例えばマックを買いに行って食べるより、誰かがお土産に買ってきていきなり出会える方がテンション爆上げなのもそれと似ているかもしれない。でもそれは自分だけかもしれない...。

 

アイスなんかも特にそうである。食べたくて買ったアイス、買ったその日に食べるよりも数日置いて「あ、アイスある!」と気づいて食べる方が断然うまい。ただ自分は我慢ができない性格なのでそんなことは滅多にない。それができる人は自分よりもアイスを美味しく味わっていると思うのだ。

 

だから、なんなら料理もしたくない。している間に脳みそで味わってしまって少し飽きているような気がする。完成するまでに匂いも存分に浴びているから新鮮味もない。だから解決方法としては、出来立てをあきらめ作りおくか、完成した瞬間なんとかして気絶するしかないのだ。いや、かえってまずくなってる気がする。

 

だったら外食はどうか。いきなり食べれるぞ。と言われると、それで解決というわけでもない。これに関しては、お前はめんどくさいやつだ。くたばれ。と言われてもしょうがない。くたばるしかない。なんでかというと、もはやその店に入った時点で少し飽きはじめているということだ。牛丼屋に入ったらもう脳は牛丼を食べはじめているので、牛丼が出てきても脳はびっくりしないのだ。だから、もしそこでピザが出てきたら脳がびっくりしてうまいと感じるかも...とここまで書いて思ったけど、そんな訳ないよね。牛丼食べたいのにピザ出てきたらつらいわ。

 

というわけで「脳がびっくり現象」はまったく信憑性がない。いつかこれを実験できる日がきたら検証してみたいと思う。実験体募集中。

 

おわり。

 

 

 

 

 

この体は筋肉痛。その心は愛おしい。

今自分は、肉体的にとても疲れている。足の裏はじんじんピリピリし、二の腕はもぞもぞとぎこちなく痛い。体全体の筋肉が緊張して固まっているようだ。久しぶりに運動という運動をしたらしい。疲れてはいるけど、こういう疲れは悪くないと思う。何かがんばった証のようだし。

 

ここで披露させて欲しいものがある。このいわゆる筋肉痛になった運動。それをしている時、頭の中がひまだったので謎かけをずっと考えていたのだ。くだらなくなんのひねりもないただの謎かけだけど、頭の中で書いて頭の中だけで消してしまうのももったいないのでここに残しておこうと思う。ありがたく思えよ、謎かけ。ではどうぞ。

 

田舎とかけまして、ピンの仕事ととく。

その心は、どちらもコンビに少ないでしょう。

たくっちです。

 

都会とかけまして、クエンティンタランティーノ好きととく。

その心は、どちらも「すごいでキル・ビル」。

たくっちです。

 

東京とかけまして、ヒーローの掛け声ととく。

その心は、どちらも「とう」が定番でしょう。

たくっちです。

 

塔とかけまして、ボキャブラリーのある人ととく。

その心は、どちらもトークがよくわかるでしょう。

たくっちです。

 

松本人志とかけまして、波打ち際ととく。

その心は、どちらも隣が浜だ。

たくっちです。

 

こんな感じ。いかがだったでしょうか。

 

謎かけは結構考えるのが難しいけどおもしろくて、頭だけで暇をつぶすのにはもってこいだ。考えすぎて体だけでなく頭も筋肉痛にならない程度にのんびり楽しもう。こうやってみると、ねづっちはやっぱりすごかったんだと改めて思う。何かしながらとはいえ一つの謎かけを考えるのに10分くらいはかかったのに、ねづっちは10秒で思いつくのだ、すごい。ねづっちですと毎回自己主張したくなる気持ちもわかる。なんとなくそれ無理やりすぎだろ...というのも多かった気もするけど。例えば、

 

りんごとかけまして、筆に赤い絵の具をつけてぽたぽたと垂らした後を上から見てみた時とときます。

その心は、どちらも赤くて丸いでしょう。

ねづっちです。

 

みたいな。これは無理やっちがすぎるっちですというもんである。大げさだけどこんなそれありかよみたいなものが結構あったと思う。でもこれは早さのための犠牲だししょうがない。

 

関係ないけど、ねづっちの隣にいた相方のミニ兵頭みたいな人は元気にしてるんだろうか。ねづっちが売れていた時、あの人を観ていると切ない気持ちになった。

 

「おー」「いよっ」「その心は」

「おーー」「いよーっ」「その心はっ」

「その心は」「その心は」「その心はーっ」

 

ただの合いの手である。本人もその心はこれがおれのやりたかったことなのかと悩んでいたことだろう。売れてお金をもらう為だけに芸人を目指したわけじゃないはず。きっともっと自分の力で笑いや歓声をもらいたかったのだろうと勝手に思う。いっそミニ兵頭も謎かけをはじめて、ねづっちよりも早くて上手くなり、相方を負かすみたいな企画とかやってほしかったな。もう似たようなのあった気がするけど。

 

検索したら、二人は五年前に解散していたらしい。まあそりゃそうか〜〜。もし自分がミニ兵頭でもドヤ顔の謎かけおじさんのそばにずっといたら頭がおかしくなるし「これその心何がおもろいねん」とパニックになるだろう。ミニ兵頭もきっと追いこまれていたのだ。

 

頭が謎かけに侵食され、もしかしたら友だちとただ会話している時にも「その心は」と相槌をうってしまっていたかもしれない。奥さんに今日の夕飯を聞いた時も「その心は?」とつい言ってしまっていたかもしれない。解散直前の末期には「お風呂が湧きました」という機械の声にも「その心は!」と反応していたかもしれない。道端で吠える飼い犬にも「その心は?」と聞いていたかもしれない。そしてライブ中「その心は!その心は!その心は!」と突然バグってしまい、ねづっちはついに解散を決めたのかもしれない...。

 

かわいそうだけど想像すると笑える。なんだかミニ兵頭がとても愛おしく思えてきた。

 

ちなみに、この日記を書いている間も筋肉痛は全然とれていない。ミニ兵頭だとかくだらない日記なんか書かず、そろそろ晩御飯を食べて体力をちゃんと回復させようと思う。ではさようなら。

 

おわり。

 

返ってきた自転車

自分の母校に行ってきた。

 

というのも大学生のころ、自分は自転車を盗まれたことがあった。その自転車が自分の母校の高校に置かれていたらしいのだ。置かれていたらしいというだけで本当にあるかはわからない。しかもあるという連絡があってからもう3年くらいたつのだった。我ながらあっぱれなマイペースっぷりである。

 

自分が自転車を盗まれたのは大学1年生のころ。高校生のころから使っているボロの自転車をキャンパスの駐輪場に停めていた。ボロとはいえ、その自転車は大事な交通手段。犯人を頭の中でこのやろうとにらむ。

 

自転車が盗まれることにおいて一番理不尽なのは、盗まれた本人も責められることである。いや、盗まれた本人だけ責められるといっても間違いない。ほとんどの場合盗んだ方が「ありがとうございました」と礼儀正しく返しにくるはずもなく、顔を合わせることがないからだ。

 

そして自分はなんで鍵をかけなかったかと責められるが、そんなことはもはや盗まれた側からしたら関係ない。盗んだやつと自転車が盗まれる世の中が悪いに決まってるのだ。そうに決まってる。なんで傷口に塩を塗られなきゃいけないのか。

 

さてさて、もちろんその当時も理不尽な現実にひどく腹が立った。

「あんなにボロいのに...」

自分で言うのもなんだが鍵がかかってないとはいえ、いろんなとこが壊れかけた自分のださい自転車をチョイスする犯人のセンスにもがっかりした。犯人も必死である。

自転車に鍵をかけないと盗まれるという可能性は前から考えていた。でもこんなボロいのになぜ?高く売れるわけもないので、おそらく犯人は夜遅く早く帰りたかったのだろう。

 

そして現在の学校。

 

「ぼくの自転車があると聞いたんですけどまだありますか?」自分が3年生の時の担任の先生は、は?みたいな顔になったものの、仕方がなさそうに「待っとけ」。

 

高校の一般受付の廊下には美術部の作品が飾られていた。アンモナイトが描かれた油絵はところどころ飛び出すようにぷっくら膨らんでいた。

 

しばらくして、先生が帰ってきた。先生によると数年前に駐輪場の大掛かりな整理が会ったらしく、その時に一緒に捨てられたかもしれないとのことだった。

 

酔っ払ったおっさんか、同じ大学の学生か、律儀に母校まで返された自転車。

 

世の中では毎日いろんなものが盗まれる。そのたびに持ち主はいろいろ失う。盗まれる瞬間その場にいれたら守ってあげることができたのに。とは言っても、持ち主がいるところで盗みは行われないのであった。

 

高校を出て、犯人を思って家路をたどる。もう犯人を責めるのはやめよ。そうだ、この犯人は盗んだけど返してくれたのだ。

 

実際、犯人が自転車のラベルをみて母校に返してくれたのか、別の人が見つけて返してくれたのかはわからないけど、返ってきたことには変わりはない。こんな盗みが縦横無尽に行きかっているだろう世の中で、盗んだものを返す犯人というのもめずらしい。

 

帰り道、2月の強烈な寒さを忘れて自転車を走らせたのであった。

 

おわり。

 

 

 

 

 

 

 

23歳

23歳。自分では「もうおじさんだ」と言うけど、他人に「もうおじさんだ」と肯定されるとおいちょっと待てと言いたくなる微妙な歳になった。いかにも何かの「途中」と言う言葉が似合う数字である。自分が20歳を超えたあたりからじわじわ誕生日を迎えることがぜんぜん嬉しくなくなって来てるのは確かで、今回もぜんぜん嬉しくはなかった。これから先何歳を超えたら、歳を重ねることがまた少しでも嬉しいと感じるようになるんだろう。予想だと50歳かなと思う。

 

ニュースで、また芸能人が浮気をしているというのが話題になっていた。それとこれとは違うだろと言われるかもしれないけど、ドラマとか映画では浮気をしてもそれがドラマチックに肯定的に描かれることも少なくなく、それに夢中になる人は多いはずなのに、やっぱり現実で浮気問題となると自分と関係なくても石を投げたくなるようだ。芸能人は自分自身が商品みたいなものだから取り上げられるのは仕方ないけど、それくらいのことで関係ない人にも謝ってほしくはない。とは言っても、そういう芸能人のニュースに怒っている人なんてたぶん一握りしかいないと思う。

 

そんなことを考えつつ、さっきレンタルCD屋さんに行って森山直太朗のCDを見ていたら、奥の棚で背の小さい女の子がDVDを持ってぴょんぴょん跳ねていた。どう見ても棚の上の方に手が届いてない様子なのでそれ入れようか?と声をかけたら、入れたいんじゃなくて一番上の棚にあるDVDが取りたいらしかった。そのDVDはプリキュアのアニメでそれを取ってあげたけど、結局思ってたのと違ったらしく棚に戻した。その一連の流れのあと、自分も本当に大人という立場になってるなぁ〜と自分が小さかった頃とその女の子を照らし合わせて思ったのだった。これが23歳かー。

 

おわり。

 

 

 

 

 

 

主人公かもしれない

自分は自分を「主人公」だと思っているかもしれない。と、今日いつもの自転車に乗っている時にふと思った。というか自分が何かふと思うときは大抵自転車に乗っている。自転車に乗っていないときといえば、自分はおおよそYouTubeを見たりツイッターを見たりしていて脳みそが横になってほぼ寝ている。なので何かふと思えるのはちゃんと脳みそが動いている自転車に乗っている時が多いのかもしれない。

 

さてさて。自分は自分を主人公だと思っている。だから自分は何かと間違いが多いのだ。ということを自分はぼやーっと考えていた。これはどういうことか。そもそも自分の人生なのだから自分は主人公、他人は脇役と思っていても罪じゃないしそりゃそうでんがな、などと思われるかもしれないけどそれとこれとはちょっと違う。自分にとっての主人公とはかなりファンタジーなのである。

 

というのも自分は昔からアニメ漫画ゲーム映画にとても影響されやすい脳みそを持っていて、その脳みそはもちろん今もそのままだ。ムーンライトという映画を観た後の帰り道は歩き方をかっこよく意識したり、ララランドを観た後は歩きながらも頭の中はミュージカル状態だった。名前を忘れたけど若者がバンドを始める映画を観た後はギターを買って練習したりもした。昔から影響されやすいのである。そしてそういうものの主人公というのは、だいたい天才で特別で、最後に勝つのだ。

 

自分の人生も、映画やアニメの主人公と同じように自分だけのものだ。だけど違うのは愛とは何かを教えてくれるおじいさんが現れたり、喫茶店で男女とわず運命の出会いとかがあったり、大海賊時代になって富名声力この世の全てを手に入れたり、そういうドラマチックなことはそうそう転がってはいないということ。それからやっぱり誰しも天才で特別でもなく、最後に勝つわけでもないということだ。でもそんな主人公に自分はまだ自分を重ね合わせているのかもしれん。そう思ったのであった。

 

それで、自分は自分をそんな主人公じゃないとわかるのが嫌なのだ。わかっているけど改めて再認識させられることが嫌なのかもしれない。だって夢くらいみていたいから。そんなもんだから自分は失敗をすることから目を背けて、課題を出さなかったり、寝坊しても二度寝したりしていた。自分が負けたという事実が見たくなかったのだ。だから自分は何かと間違いが多いのかもしれない、自転車でそういきついたのだ。

 

でもこれは自分だけではないんじゃないか、とも思う。というか大抵みんな自分のことを主人公だって思っているし、いまだに夢を持って生きている人もいるでしょ。そんな中でこれも自分の人生だって割り切って過ごしてるんだからみんなすごいと思う。あらためて、自分はまだまだ子どもだなと思ってしまった今日の夕方であった。

 

全然関係ないけど、今日カップラーメンの「ごつ盛り」を買った。名前がなんか「おれまじ力持ち」と堂々と大したことでもないのに自慢をしてるみたいで下品だし、それ以外にお前の個性はないんかいと突っかかるし、何よりなぜかわかんないけどガソリンが入ってる気がして(偏見です)おいしそうじゃないしで、今まで食わず嫌いしていたのだけど、お金も節約したいし量も食べたいということでお店でじっと見つめていたのだ。その時「でかいブタメンを買った」と思ったら急においしそうに感じたので無事買うという決心をすることができたのだ。ブタメンにしてはおいしいし、量もたっぷりじゃないか、という感じにハードルをごつ盛らないことで、今日はおいしく食べれそうな気がする。なんじゃそりゃ。

 

だれしもだれしも。

 

 

 

 

 

 

セイキンが好き。

f:id:bossno8732:20191007194207j:plain

 

みんなはセイキンという男を知っていますか?おそらくセイキンは知らなくてもヒカキンは知っているという人は多いと思う。セイキンはその日本一のユーチューバーであるヒカキンの実の兄にして、またかれもユーチューバーなのだ。

 

正直言って動画は大しておもしろくもないけど、セイキンには他のユーチューバーにはない魅力がある。そこが好きなのである。今回は「セイキンが好きなんて意味がわからない」「お前は頭がおかしい」「そもそもセイキンってだれだよ」という人のために、セイキンの何がいいのか、自分の愛をここにぶつけたいと思う。

 

考えてみると、ユーチューバーになるような人はだいたいが目立ちたがりで人気者になりたい人がほとんどだと思う。というかそのモチベーションがなきゃユーチューバーなんてやってないと思うけど、セイキンからはそういう欲があまり感じられない。でもそこがいいのだ。真面目で丁寧な性格なので、どちらかというと銀行とか郵便局で働いてほしいくらいである。むしろ人気なユーチューバーにはそもそもの生き方がぶっ飛んでいて人間としておもしろい人が多いと思うが、セイキンは人間がおもしろくないのである。

 

でもそんなお笑い体質じゃないからこそ、セイキンはあまりウケを狙いにいかないのだ。というより狙いにいけないから真面目にがんばってユーチューバーらしくしているのだ。自分は、人がわざとらしくボケたりくっさいリアクションしたりするのを見ているのがつらいので、むしろセイキンのようにどっちもうまくできない人間を見ていると心が落ち着くのである。言うなれば世の中の人がかわいいペットの動画を見ているのと自分がセイキンの動画を見ているのは同じ感覚なのだ。自分にとってセイキンは余計なことを考えない従順な犬みたいな存在なのである。かわいくはないけど。

 

そんな自分がおすすめするセイキンの動画を4つ紹介しよう。

 

 youtu.be

「横浜サイダー☆」

セイキンがユーチューバーデビューしたての頃の動画。アカペラミュージシャンとして成功したい自分と、弟のヒカキンの商品紹介を真似しようとする自分がせめぎあってよくわからないカオスな動画になっている。そんな試行錯誤するところがまた愛おしい。この動画以外にもオリジナルソングで商品紹介する動画はあるけど、どれも基本的に商品名を繰り返すだけというひねりの無さもポイント。

 

 

 

youtu.be

「セイキンが選ぶ凄麺ランキングベスト5!」

セイキンがカップ麺の凄麺シリーズを食レポする動画。実はセイキンは全国各地のラーメン屋を食べ歩くくらいのラーメン好き。なので動画冒頭から興奮していることがわかりこっちまで嬉しくなる。というかセイキンに限らず好きなものを語っている人は愛おしいものである。そしてセイキンの無駄に詳しいラーメンの知識と真面目な性格で、意外と参考になる食レポをしているところもポイント。ちなみにセイキンが座る後ろのソファーが茶色の時期は、方向性が定まってきていてだいたい当たりの動画である。

 

 

 

youtu.be

「セイキン夫婦のマインクラフトシリーズ」

セイキンとその奥さんがマインクラフトというゲームを実況する動画。基本的に二人とも普段ゲームをしないため、いちいちどうでもいいことに感動したり驚いたり悩んでいる。そんなだから毎回リアクションが素で愛おしい。あまりにも下手なのでふつうのゲーム実況が見たい人はいらいらすること間違いなし。

 

 

 

youtu.be

「クリスマスイブなのでお菓子の家作っていたら悲劇が起きた。」

セイキン夫婦がお菓子の家を作るというなんとも平和な内容だけど、途中でお菓子の家が壊れるという悲劇が起きる。そんなハプニングが起きてもなんとか動画を成功させようとするセイキンの真面目な部分が前面にでた動画。「ダメだと思ったところからがスタート」という名言も残している。

 

 

おすすめといってもほとんど同じくらいのレベルなので適当に検索したのを見てもいいと思うけどそれはさておき、いまだかつてこんなに純粋な心からの笑顔を見せるユーチューバーがいたでしょうか。守りたいこの笑顔。はっきり言ってどうでもいい動画ばかりである。クソほどどうでもいい動画ばかりである。だけどどうでもいいからこそ、自分の頭の中をリセットできるのがセイキンの動画なのだ。みんなも心を落ち着かせたい時、何も考えたくない時にセイキンの動画を見たらいかかでしょうか。セイキンの動画はもはやそんな禅の思想にまで到達しているのだった。

 

see you next time.